虎高です。又、掲示板をお借りしにきました。
いつも感謝しております。
橘茂貴さん、これが「三条殿夜討の巻」の杏葉の三様の表現です。前方、後方曲がり、曲がり無しの様子が確認出来ると思います。
この図でフト新たに思ったのですが、そもそも「杏葉」に、曲がりがなぜ必要なのでしょうね???
ほにゃぢ様
掲示板、お借りします。「名古屋城宵祭り」、転居と重なって行けそうにありません。来年に期待しましょう!
虎高様
「三条―」の作者は甲冑の考証、表現に巧みなようですから、初期の杏葉には三態あったのでしょうね。「杏葉の曲がり」は実用上のものと言うより、単純に意匠上のものではないでしょうか。
上部の折れ曲がりは大鎧の障子板の役目(矢止まり)で、胴丸に袖がついて胸に下りてからは必要のないものですから形骸化していき、江戸時代頃には無くなってしまっていますね。
>「杏葉の曲がり」は実用上のものと言うより、
>単純に意匠上のものではないでしょうか。
曲がりに役割上の意味があれば、3態も(左右間違いとすると曲がり無しと2態)無いと思いますし・・・。
ご指摘の通り、やはり、単純に意匠上と考えるのが自然な様ですね。
ほにゃぢ様 初めまして。
杏葉の曲がり。
自分はこう感じました。恰も鉄の板を通常曲がらない
方向へ曲げているような・・・それと日本甲冑100
選には力の示し、と←此れは九尾の板の曲がりに対し
ての見解が有りますね。
>日本甲冑100選には力の示し、と←此れは九尾
>の板の曲がりに対しての見解が有りますね。
100選にそのような見解の記述がありましたか?
一度読み返してみます。ご指摘、ありがとうございます。
蛆虫様
はじめまして、「たちばなのしげたか」と申します。
読解力不足でご免なさい。「鳩尾の板の曲がり」とはどのような状態を示すのでしょうか?板全体としては、平板な板では無く、ふくらみを持たせていることはご存知かと思いますが、上部の冠板に相当する部分の切れ込み(山型、片山型)の事を指しておられるのでしょうか?
“杏葉の曲がり”と表現しているのは下部の切れ込みの曲線のことなのですが、「曲がらない方向へ曲げている」というよりも、どのような形に鉄板を断っているのかだと思うのですが・・勿論、蛆虫様の仰るように、この曲線のカーブが力の方向を示す(ベクトル)事は理解できるのですが、このベクトルがどのような意味を持っているのだろうかと言う疑問です。
失礼な発言になっていましたらご勘弁下さい。感覚的なところは言葉では表現しずらいものですね。脳で思った事を映像化できないものでしょうかね〜。
橘茂貴様
他の掲示板の方では以前から拝見して居りました。九尾
の板の膨らみは以前から知っておりました。それと御免
なさい、「甲冑100選」144項の上段、右から6行目から
・には曲がりとは書いてなく反りと書いてありました。
上部の冠板では無いです
>>どのような形に鉄板を断っているのかだと思うので
すが・・・これは[4]の文頭にも有りますように「恰も
」と表現していますので、断って作ているであろう物
を予め承知したうえでの投稿になりますが語句の受け
止め方も微妙に違いますので誤解を与えてしまったかも
しれません。その単純に断って作ったであろう物を、ま
るで怪力の指で杏葉の下部の尖ったような所を曲げたよ
うに見せていると感じましたもので今回投稿しました。
>>どのような意味を持っているのだろうか・・・ここを
自分は力を示す物的表現と感じました。
蛆虫様、よく解りました。
デザイン的なものの解釈は当の本人(製作者)以外には出来ないのかも知れませんね。難しいものです。十円玉を折り曲げるように、怪力の指で曲げちゃったのかも知れませんね。
ところで“杏葉”には馬具装飾品、甲冑付属品、紋の3種がありますね。発生も列挙した順だと思うのですが、古墳から発掘される馬具用の杏葉が甲冑用のものに転用され、本来装飾だったものが肩の防御と言う実用面にも注目され、胴丸の地位向上にともない、再び装飾になったと言う感じですね。
“下部の尖ったところ”(曲がり)は、色々と写真を見ましたが馬具用の杏葉では、まっすぐに下りているものが殆どのようです。これを前(後)に曲げたのは製作者の遊び心でしょうか。
紋の場合は二つセットで丸の中に収めるという形が多いので、自然とあのような形になるのでしょうね。
―杏葉の説明です―
時 代 : 6世紀後半
出土地 : 高崎市観音山古墳
寸 法 : 幅13.5cm
杏葉は、馬の鞍(くら)を固定するための胸繋(むながい)あるいは尻繋からつり下げられる装飾用の馬具である。日常的な乗馬には必要なく、儀式の場に臨む際に装着されるものである
みなさんこんにちは、盛り上がってるところに横からちょっと失礼して。
蛆虫さまはじめまして、今後ともよろしくお願いします。
杏葉とは関係ないことですが橘さまの書き込みで思ったこと。
意匠全般において外側に反ったりはねたりしているものはなんとなく大陸的な印象がありました。
逆に内側に曲がっているものは日本的な印象。
(あくまで個人的な印象ですが)
意匠を丸の中に収める紋の存在、それゆえにいろんなものの形が丸の中に納まり易い形に進化していくのかもなぁ、と一人納得してしまいました。
>意匠全般において外側に反ったりはねたりしているものはなんとなく大陸的な印象がありました。
逆に内側に曲がっているものは日本的な印象。
同感です!!
ところで、仏教美術にある彫刻などで、インド系の神様由来の毘沙門天が着用している甲冑にも“杏葉”らしき表現がなされていますね。この辺も初期胴丸の杏葉の原型でしょうか。
「蝟虫」様よーく漢字をみたら、虫偏に「胃」ではないですか!人が悪い(失礼!)
掲示板の漢字は見難いので「蛆」と勘違いしていました。二字に分けておられますが、「いらむし」様でよろしいのでしょうか?
佐竹義重、義宣父子の甲冑の前立ては源氏の出身である事をもじって「けむし」(げんじ→けんし→けむし・げじげじ)でしたね。この飾りはたしか「虫偏に胃の“いらむし”」ですね。“いらむし”は「毛虫」ではありますが、「針鼠」のことも指していますね。
佐竹氏ゆかりの方なのでしょうか?私は父方が橘氏系岡本氏、母方が橘氏系楠木流なので「たちばな」をHNにしております。
ほにゃぢ様 家紋で抱き蝶なんか外枠が細いと女紋
に見えませんか、抱き柏とかは男性的に見えたり。
橘茂貴様、HN、正解です(^ー^)。「いらむし」でも
間違いでは無いと思いますと言うのも「いむし」と
言って田んぼなんかに団子状に成って群で飛んでる
ウンカみたいな虫を昔?は蝟虫と言ったらしいんで
すが、どうも良く分らなくって。それと茨城出身な
ものでちょっと拝借して。自分は雑賀荘内の村と関
わりがありそうです。
蝟虫さま失礼しました。
老眼が進行しているのでこういう失敗が多いです。
線の太い細いでそういうことを表現したり
日本にはそういった不文律みたいなものが多いですね。
文書で残ってないので遺物に数多く触れることで、なんとなく感じ取れるようになるしかないんでしょうね。